HISTORY

沿革

部落解放中央共闘会議の結成までの経過

「部落解放中央共闘会議」の結成は、1975年12月15日に実現しました。この結成にいたるまでには、部落解放運動と労働運動が深い連携を築き上げる過程がありました。背景には、部落差別の問題に対する日本社会の認識不足と、差別撤廃に向けた具体的な取り組みが必要とされていたことがありました。

1960年代から1970年代初頭にかけて、日本の労働運動は次第に活力を失い、「眠れる巨象」と称される状況に陥っていました。その一方で、狭山事件(1963年に埼玉県狭山市で発生した冤罪事件)をきっかけに、部落解放同盟は差別裁判の糾弾や差別撤廃に向けた闘争を全国的に展開し始めます。労働運動が低迷する中、狭山事件のような差別裁判の不当性に対する部落解放同盟の活動は、多くの労働者に新たな意識を芽生えさせるきっかけとなりました。

1974年、労働運動と部落解放運動の連携を強化するため、総評(日本労働組合総評議会)は、部落解放同盟との連携を運動方針に明記しました。この方針に基づき、狭山差別裁判の支援や差別撤廃を目指す闘争が本格化し、1975年には「部落解放中央共闘会議」の結成を目指す動きが加速します。

1975年9月、総評は「中央同対審共闘」の結成に向けた準備会を開催し、主要な労働組合の代表者たちが集まりました。続く数か月間、結成のための具体的な方針や運営要綱が議論され、同年12月15日、ついに「部落解放中央共闘会議」が正式に結成されました。この結成宣言では、「労働組合旗と荊冠旗をしっかりと交差させ、前進する」という力強い決意が示されました。
「部落解放中央共闘会議」の結成は、部落差別撤廃を目指す運動が労働運動や市民運動と連携するための重要な転機となりました。この連携により、差別のない社会の実現に向けた強力な一歩が踏み出され、部落解放運動がさらに全国規模で展開される契機となったのです。